フェスティバルの2日間はファンドライジング中心に
過ぎ去って行ったが詳細は書かないことにする。
自叙伝によれば興南工場の過酷な刑務生活の中で食事の次に
大切だったのが
''針と糸''だったそうだ。
興南工場の資材の中に''針''を見つけた時の喜びが書かれているが
綻びを繕うのに必要だったのだ。(自叙伝の第2章参照)
私が10/14興南解放記念日の入籍に参加する精誠条件として
興南の十字架路程を歩んだお父様を慕い感謝しながら''針と糸''
を使って手縫いでキーホルダーを作った。
文鮮明氏を表面的に知ろうとしてもスーパーマンのように思い、
自分なりにメシア感(メシアならこうあるべきだとか、、、)を作り上げたら
どこかでつまずくだろう。原理を解いた偉大な宗教指導者という理解
では弱い。全人類のメシアではあるんだけど
''私を祝福家庭にするために十字架路程を歩まれた再臨主であるという霊的実感''
が必要だと私は思う。
10年20年100年と後世の人達が会っこともない真の父母様の価値を
どうやって知る事が出来るのか?
圧倒的なお父様の聖霊を実感した時その価値がわかる。
''だから先生を慕うしかないんだね。'' 誰かが心の中でそう呟いた。
クリスチャンがイエス様を捉えるその観点で再臨のキリストを捉えるべきなのだ。