教会本部は”天使長”か?

日本サンクチュアリの新体制や信徒規約に対していろいろな意見があるようなので
私も感じることを書きます。


教会本部は”天使長”か?
教会本部は天使長でしょう。しかしアダム家庭で幼いアダム・エバを養育した天使長
を考えれば、たとえ年取ったいい大人であっても、伝道・神氏族メシヤに勝利したわけでもなく、原理講義が得意でもない、み言葉や聖書の知識も乏しく、大きな組織を運用したこともない、そして”防御と創建”でガンガン献金できるわけでもありません。着のみ着のまま家庭連合から逃れてきた私のような者たちは、ある意味幼いアダムとエバであり養育係の指示に従いながらいまさらながらでも成長すべき立場なのでしょう。あれはダメ、これはダメ、ああしましょう、こうしましょうと反抗期の子供たちをたしなめる段階も必要なのでしょう。また言われなければ動けない人も多いんです。しかし江利川会長が言わ
れるように、摂理は急がれています。そんな者たちであっても、ともに前進していかなければなりません。私は中央集権的だとは思いませんが、ある意味中央集権的に見えても現時点で聖殿食口が一生懸命考えたので、運用する中で問題があればまた立ち止まり考えたらいいんです。それがいやなら独立して思うようにガンガンやったらいいだけの話です。


とにかく重要なのは「構え、撃て、狙え」ではないですか?

神様があなたに与えたものを使うのです。重要なのは「構え、撃て、狙え」(迷わずにすぐに決行しなさい)ということです。「構え、狙え、撃て」ではいけません。「今大丈夫かどうか狙って確認しているところだ」と言うのは、やめなさい。どれだけ確認しているつもりですか。これまで4年間もやってきて。「構え、撃て、狙え」です。撃てば神様が聖霊の働きで助けてくださり、神様の栄光にとって最も効果的なように調整してくれます。(2017.2.19 攻撃を受ける王国より)

私はこの言葉を信じます。


阿南教会長は聖殿食口としては模範となる組織を作られている先輩だと心から思いま
すし、尊敬しますが 今回の記事は要りません。
こんなレッテルを貼りたくありませんが、文章から感じる私の印象は
”私の意見が聞き入れられませんでした。”という疎外感のようなものです。
心で感じることがあるかもしれませんが、とにかく構えて、撃つと言っているので
見守っていくべきではないでしょうか。


ところで聖書の中でイエス様に褒められた人と聞いて誰を思い浮かびますか?


イエス様は異邦人の中央集権的なローマ軍の百卒長を褒められました。
もとろん彼は良きリーダーだったんでしょうが、その統率力に対して”これほどの信仰”
と言って感心されています。なぜなのか? 明確に答えるのは難しいですね。  

「私も権威の下に服している者ですが、私の下にも兵卒がいまして、

 一人の者に『行け』と言えば行き、他の者に『来い』と言えば来ますし、また、僕に『これをせよ』と言えば、してくれるのです」

イエスはこれを聞いて非常に感心され、付いて来た群衆の方を

振り向いて、「これほどの信仰はイスラエルの中でも見たことがない」

と驚かれます。

 (ルカ 7:1-10)

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